穴沢一族の墓
 桧原の代官で桧原番所の関守であった穴沢一族の供養塔である。桧原の村はずれ道路添えに8基、巣の山墓地に3基、計11基ある。穴沢善右衛門正清、新八郎光茂、他の墓碑である。明治21年磐梯山の大噴火により、旧桧原集落と共に桧原湖底に水没したが、大正末期の水門工事で渇水した時、村人によって現在地に移転した。